不動産流通システム【REDS】の宅建士、宅建マイスターの菅野です。
若い時期を過ごした東京都北区の十条北地区(環状7号線の北側地区)に、やっと地区計画ができて木造家屋密集地域(木密地域)の解消へと具体的に動きだしたようです。
このことを祝って、私の若かったころのいろいろな苦い思い出を交えながら、「木造家屋密集地域は危険なだけでなく不便なことも多い」ということをお伝えしたいと思います。
(画像はイメージです)
札幌出身者には衝撃! 「東京は道が狭すぎる」
30年以上も前の話になります。私は、北海道は札幌の出身なのですが、都内の大学に受かったため、北区上十条五丁目にあった父の実家に住みながら大学に通うことになりました。その頃もうすでに祖父は亡くなっていて、祖母が一人で住んでおり、そこに居候することになりました。
初めて一人で上京したとき、羽田空港からモノレール、そして京浜東北線に乗り換えて東十条駅で電車を降り、そこから階段を上って祖母の家まで行ったのですが、どこもかしこも車が入れないような狭い道ばかりで、しかもぐねぐねとあちこちに曲がっていて非常に道がわかりにくい!
ご存じの方もいらっしゃるかと思いますが、札幌の道は基本的には碁盤の目で整然としており、道幅は広くて生活道路でも6m以上は普通にあります。そういった環境から、いきなり大江戸・東京に来て、時代劇の長屋の横丁みたいな道路があちこちにあるわけで、その道の細さに非常に面食らいました。
また、祖母の家は駅から遠く、京浜東北線東十条駅、埼京線十条駅までどちらも徒歩15分の距離です。知らない土地で徒歩15分の距離はけっこう大変で、自転車で駅まで通えないかと考え、近所に住む叔母に自転車を借りることにしました。
しかし、駅前の駐輪場は事前に予約して利用権がないと使えないということを知りませんでした。札幌では自転車は雪のないときにしか使えないため走っている台数もそれほどなく、当時駐輪ルールは非常にゆるかったのですが、東京のこの駐輪ルールを知らず駅前に放置して大学に行き、帰ってきたら自転車がなくなっていて(撤去されていて)青くなりました。
さらに悪いことに、叔母の名前で登録された自転車に乗っていたため、警察の職質を受けた際に苗字が違う人の自転車ということで疑われ、叔母の電話番号を伝えてとにかく確認してくれ、と電話をかけてもらってやっと解放されたということがあり、自転車通学もあきらめることになりました。結局、毎日15分歩くことが嫌になって大学への足も遠のいていく始末でした。
救急車が入れずストレッチャーで350m搬送
祖母は大正生まれの倹約家で(といえば聞こえは良いのですが)少々腐っていても、もったいないと食べるような〝けちけちばあさん〟でした。ある日、何にあたったのかわかりませんが、腹を抱えて非常に苦しんでいて、これはまずいと救急車を呼んだのですが、ストレッチャーに乗せられて救急車まで運ばれた距離が350mほどもあったのです。
家の周りの道が狭すぎて、家に一番近い場所として駐車したところが、一段低くなった裏の旧水路敷の道路で、階段でしか上ってくることができず、ストレッチャーを押してくるには大きく回り道をするしかありませんでした。その後、病院に搬送され何とか一命はとりとめましたが(食あたりでも老人は命にかかわります)、「これは大変なところに住んでいるな」とそのとき初めて思ったことを覚えています。
ポルシェが70mバックして車庫入れ
近所にちょっとお金持ちのおじさんがいて、ポルシェのオープンカーに乗っていたのですが、車庫入れで長い距離をバックして来て、そのまま車庫入れをしていました。当時のことを思い出してバックした道を測ったところ70m以上ありました(お金持ちの家があった場所には、今は一戸建てが3軒建っています)。
片手ハンドルで助手席に腕をかけて後ろを向きながらバックしていくのがかっこよくて、その後自分も車が欲しくなり、安い中古車を買ってしまったのですが、環七から直接バックで入らないといけない駐車場を借りてしまい、あえなく納車当日に車庫入れを失敗して事故ってしまいました。
消防車が入れない(消火活動で道がふさがる)
近所で火事があったときも、消防車が限られた進入可能な道に数台連なって駐車し、そこからホースを100m以上伸ばして消火活動していました。
救急車も入ってこられないため、やけどで搬送されていった住民の方も祖母と同様に、かなりの距離をストレッチャーで運ばれていったことと思います。消火活動で道がふさがっていたため、外出も難しかったことを覚えています。
引っ越しが大変(台車で120mを何度も往復)
その後、ひとり暮らしをすることになり祖母の家から引っ越しすることになったのですが、お金がなかったので自分でワンボックスのバンを借りて荷物を運ぶことにしました。
ただ、車を止めるところがなく、ワンボックスがぎりぎり入ってこられる道路沿いの月極駐車場を一時的に借りて(当時、コインパーキングなるものは存在しませんでした)、近隣の印刷屋さんから台車も借りてピストンで片道120mを何度も往復することになりました。
最後に祖母と涙の別れのようになったのですが、「さよなら~」と道を曲がるところでブロック塀にこすってしまい、レンタカー代が非常に高価なものになってしまって、さらに泣きました。
仏壇を300m台車で移動
そして月日が流れて祖母が亡くなり、実家を引き払うことになりました。父が実家の仏壇を引き取ることにし、私のほうでその手配をしました。
仏壇は佐川急便のチャーター便で運ぶことになったのですが、トラックは環七にしか駐車できず、環七まで300mほどの距離を、ゆっくりと台車を使いながら3人で運んでもらいました。位牌は私が父のいる札幌まで持っていきました。
ようやく改善される地区計画の内容とは
と、思い出をつらつらと書き流しましたが、実際、十条北地区(環七の北側)は道が非常に狭く、家と家の距離も非常に接近していて火災延焼の恐れが非常に高い地域です。また古い家屋が多いため大地震が起きたときに倒壊する建物も多いことが予想されます。
そういった懸念は、私が住んでいた30年前からすでに言われていたことで、今回、地区計画が策定されてやっとそういった状況の改善に着手される、ということは非常に喜ばしいことだと思います。
今回の地区計画で注目する部分としては以下の内容になります。
- 住居地域について、隣地境界線から壁面を必ず40cm離して建築しなければならない
- 主要生活道路の沿道は道路中心線から3m後退する
- 最低敷地面積65㎡(環七沿道地区は80㎡)
- 道路に面して垣や柵を作る場合には生け垣か透視可能なフェンスのみとする(とにかくブロック塀が多くて、隅切もないような家がけっこうあります)
上記制限は令和7年4月施行の予定とのことで、これから家を建て替える場合にはこの地区計画に沿って建築しなければならなくなります。
すぐに良くなるというわけではないのですが、この地区計画の目標にある【既存の閑静な住環境を維持しながら、建築物の更新を適切に誘導し、道路や公園等を整備することで、市街地の防災性及び居住環境の向上を図ることによって、「安全で安心して住めるうるおいのあるまち」の形成を目指す】という文言をぜひとも実現していただきたいと思います。
※参考:北区ホームページ
(ホーム > まちづくり・住宅・環境 > 都市計画 > 都市計画手続き中のまちづくり)
コメント