REDSエージェント、宅建士・宅建マイスターの渡部親三です。
REDSエージェントがご紹介する【東京の街】シリーズ。今回は東京都品川区をご紹介します。
(写真はイメージです)
品川区の区名の由来
品川区は1947年に、旧品川区と旧荏原区が合併して発足し、旧区名の品川区が採用されました。
「品川」という言葉の由来には諸説ありますが、「目黒川の古名」説が有力とされているようです。現在は桜の時期に多くの人でにぎわう目黒川は、世田谷区三宿付近を起点に世田谷区内、目黒区内を経由して品川区へ至り、品川区内の天王洲アイル駅付近で東京湾に注ぎます。
この目黒川の河口付近は武蔵国の外港「品川湊」があり、古くから港町として栄えました。
品川区の歴史
品川区は、古代から人々が生活し、そして歴史を築いてきた場所です。豊かな自然環境と交通の要衝としての役割を担い、人々の暮らしを支えてきました。
1877(明治10)年、アメリカの動物学者E・S・モースによって発見された「大森貝塚」は、発掘された日本考古学上最初の遺跡で、縄文時代後期(約3000年前)の遺物が出土し国の史跡に指定されています。「大森」は大田区の地名ですが、実際の発掘場所は現在の品川区大井だったようです。
中世の時代には武蔵国の外港として栄えました。「品川湊」は海運の要衝として非常に重要な役割を果たしていました。武蔵国の国府は府中ですが、府中から品川を結ぶ道は「品川みち」と呼ばれ、現在も「品川通り」「品川街道」という名称が残っています。特に調布市内の京王線の南側の品川通りは交通量の多い主要道路となっています。
近世になると五街道の主要街道である東海道の江戸から第一の宿場「品川宿」として、重要な交通の要衝として発展します。江戸時代後半になると外国船への対応のために品川に「台場」を築き、品川周辺は国防の拠点となっていきます。
1872(明治5)年には新橋~横浜間で国内初の鉄道が開業、品川には開業当初から駅(所在は現在の港区)が設けられました。品川駅は国内で最も初期の駅のひとつとされています。鉄道開業後は交通の要衝として発展、目黒川沿いには工場が設けられ工業地帯としても発展します。工場が多かったこともあり、品川は太平洋戦争では空襲で大きな被害を受けています。
戦後は工業地帯であった地域は住宅地や商業地へと転換が進みました。高度経済成長期には大規模な都市再開発が行われ、現在の品川の姿が形成されていきました。
品川区の地質
品川区は、武蔵野台地の東南部の一部に位置しています。このため、武蔵野台地を構成する関東ローム層と呼ばれる火山灰土が広く分布しています。
品川区内には、武蔵野台地の西側に位置する台地と、東側に位置する低地が共存しています。台地は比較的標高が高く、起伏が少ない平坦面であるのに対し、低地は目黒川や立会川などの河川によって削られた谷地や、東京湾に面した海岸低地からなります。
低地には、火山灰層に覆われない沖積層が分布しています。この沖積層は、台地を構成する更新世の地層に比べて堆積が新しく、まだ軟弱で、基礎地盤としても弱いという特徴があります。
品川区の街のご紹介
品川駅は品川区ではなく港区(高輪および海岸)にあることは有名です。
品川区には品川駅はありませんが、目黒駅(品川区上大崎)があります。この2駅周辺エリアを除いて、品川区の街をいくつかご紹介します。
大井町駅周辺エリア
JR京浜東北線、東急大井町線、東京臨海高速鉄道りんかい線が乗り入れる大井町駅。品川区だけではなく、東京南部を代表する主要な街です。品川区役所(最寄り駅は下神明駅)にアクセスしやすい駅です。
駅前には比較的大型の商業施設が集積しながらも、大井銀座商店街など昔ながらの商店が軒を連ねるエリアがあり昭和レトロな雰囲気も楽しめます。光学メーカーの「ニコン」の大井製作所が大井町(西大井)にあり、大井町は企業城下町の一面もあります。「光学通り」など、ニコンとのゆかりのある通りの名前も残っています。
近年はニコンの下請工場の跡地にマンションが建設されており、抜群の利便性の高さから人気は高いです。
大崎駅周辺エリア
JR山手線・埼京線・湘南新宿ライン、東京臨海高速鉄道りんかい線が乗り入れる大崎駅。JRの東京総合車両センターがある関係で、山手線は大崎駅を基準に運行しているところがあります。
目黒川に隣接する大崎駅東口エリアは工業地帯でしたが、1980~1990年代に大規模再開発により「ニューシティ大崎」「ゲートシティ大崎」が誕生します。さらにかつてソニーの本社があったソニー通りにかけてのエリアも近年再開発が完了し、タワーマンションや商業ビルが建ち並ぶ街並みに変貌を遂げました。一方、西口側でも2000年代以降に再開発が進みました。
不動産にとって「再開発」はポジティブなものですが、時間の経過とともに開発によって生み出された価値が希薄化してしまう例も見られます。大崎はもともと立地のポテンシャルが高く、再開発によって価値が最大化した好例です。
駅周辺の大型マンション群も人気ですが、東口から坂を上った北品川エリアは「城南五山」の一つ「御殿山エリア」で、あか抜けした邸宅や重厚な低層マンションが建ち並ぶ環境のいい住宅地となっています。
五反田駅周辺エリア
JR山手線、東急池上線、都営浅草線が乗り入れる五反田駅。駅周辺は繁華街・オフィス街となっております。
五反田というと繁華街のイメージもありますが、目黒川から続く平坦なエリアから坂を上ったエリアは、北品川の「御殿山」と同じように、「島津山」(東五反田三丁目付近)、「池田山」(東五反田五丁目付近)と呼ばれ「城南五山」として都内でも屈指の高級住宅地となっています。「高台に邸宅街。そのすぐ隣の坂下に商業エリア・繫華街」という、東京らしい街の構造が典型的に見られるのが五反田です。
かつて近隣にソニーの本社があったことや、渋谷などの周辺よりも賃料が割安なことから、近年はIT・通信・フィンテック系のベンチャー企業が集まっています。駅東側の大崎と一体になった再開発もあり、人の流れが変わっている印象もあります。
戸越銀座駅周辺エリア
東急池上線の戸越銀座駅、都営浅草線の戸越駅エリアは、全長約1.3㎞、約400の商店がある「戸越銀座商店街」が有名です。1923(大正12)年の関東大震災で壊滅的な被害を受けた東京の下町や横浜方面の事業者が移ってきて現在の商店街の原型ができ上がったといわれています。
中原街道を渡ると「日本初の大型アーケード街」といわれる「武蔵小山パルム商店街」があります。こちらは武蔵小山駅から中原街道まで全長約800m、東京で最も長いアーケード商店街です。下町風情も感じられますが、しゃれたお店も多いのが両商店街です。
このエリアは多数の路線、駅が利用できる場所が多く、交通の便もいいところです。マンションもありますが戸建ても多く、安定した人気があります。
品川区の特徴や今後について
品川区の面積は約22㎢、23区内では第9位の面積です。2023(令和5)年1月現在の人口は約40万人で23区のランキングでこちらも第9位です。
品川区は都心部へのアクセスのよさ、羽田空港へのアクセスのよさから、多くの外国企業の本社や支店が立地しています。また、多様な文化が共存する国際的な街として知られています。
「品川湊」→「品川宿」と、この地域は交通の要衝として発展してきた非常に長い歴史があります。品川駅(港区内ですが)はリニア中央新幹線の始発駅になる予定で、この歴史は継続し引き継がれていくでしょう。
まとめ
住宅地としての品川区は、歴史ある邸宅街、再開発によって生まれた高層マンション街、古い歴史のある分譲住宅地、工場と共存したエリアなど、地域によって多様な特徴があります。
ここでは挙げられませんでしたが、旧東海道の歴史を感じられる京急沿線エリア、人口1万人を超える巨大団地街の品川八潮エリア、大井競馬場にほど近く湾岸エリアとしての魅力が増している勝島エリア、区画が整った閑静な住宅街として知られる旗の台・荏原エリアなど、特徴の異なる多様な街が複雑に共存しているのが品川区の魅力です。
どの場所も利便性に恵まれており、特にJR山手線の目黒駅~品川駅のエリアの更なる発展に牽引される形で、国際性を強めながら、今後も安定した人気を保っていくと思われます。
コメント